山崎養世の日本復活対談
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船橋 洋一
船橋 洋一
船橋洋一(ふなばしよういち)朝日新聞社コラムニスト
1944年、北京生まれ。
東京大学教養学部卒。朝日新聞北京特派員、ワシントン特派員、アメリカ総局長を歴任する一方、
ハーバード大学ニーメンフェロー、米国際経済研究所客員研究員としても活躍する。
現在「日本@世界」(朝日新聞)、「船橋洋一の世界ブリーフィング」(週刊朝日)を連載。
著書に『内部』『通貨烈烈』『アジア太平洋フュージョン』『同盟漂流』『日本の志』他。
アジアで自らを封じ込め、“孤立”しつつある日本。
日本は政治を変えることが最大の経済政策だ!日本がもつ“国づくり”のノウハウを外交に活かそう!
機中での出会いから勉強会まで
山崎: 私と船橋さんとの出会いは偶然お隣り合わせに座ったワシントンDCに向かう飛行機の中でのことでした。いきなり5、6時間もお話させていただきました(笑)。
ご著書の「同盟漂流」(岩波書店・1997年)の話に始まって、どうして日本は行き詰っているかとか、どうしなくてはいけないのかなど。特に私は金融ですから、経済と金融の問題の構造をお話しましたが、本当に時の経つのを忘れてしまいました。
船橋: 二人とも今の日本の現状はこれではダメだという認識では一致していましたね。
問題意識をそれぞれ抱えていたと思います。山崎さんの非常に優れたところは、物事の本質を見抜く力を持っている点です。要するに何を抜けば全部落ちるかを「わしづかみ」に把握している。こういう人は、そうはいません。あのときから日本という国をこういうふうに変えるんだというプランをしっかり持っておられた。
山崎: あれから4年経ちましたが、今もメデイア関係の勉強会などを通して、とても懇意にさせていただいています。
“山崎ビジョン”の大動脈が「高速無料化」だった
船橋: 今回の総選挙では、山崎さんの「高速道路無料化論」に民主党が理解を示しましたが、ご当人の山崎さんとすれば、別に政治運動としてやったという感覚はなかったのではないかと思います。日本が今置かれた状態のなかで、一点ここを動かすとすれば、何のテーマで、どれをテコに変えるかということになったときに、高速道路からえぐったわけです。パブリック(公共)部門に対し、政策体系とともにアイデアを出した。あとは、どの政党が飛びつくかという競争の話で、それに民主党が飛びついた。政党間で競争原理が働いてきたのです。
80年代のアメリカの「レーガン革命」と似たような感じを私は覚えましたね。高速無料化の一点だけじゃなくて、実はその奥行き、広がりのなかに、今の日本が抱えた大きな矛盾、次の運動方針や新しい見解などを感じさせたという意味で、そのインパクトは非常に大きかったと思います。
山崎: 船橋さんとお話ししていくなかで、わかってきたことは、今の社会全体の最大の阻害要因は政治だということです。だから政治を変えないと、私のライフワークともいえる「いい経済システム」の追求はできません。日本の場合は、政治を変えるのが最大の経済政策なのです。その意味で、象徴的な「知恵の輪」のような提案が高速無料化だった思っています。煎じ詰めて言えば、「高速道路がタダだとうれしいでしょ? 出入り口がたくさんできるとうれしいでしょ?」。このひと言に還元できてしまう。こういうものでないと世の中を動かすパワーにはならないだろうと考えたのです。それに、「怒りと希望」の二つがないと大勢は変わりません。高速道路の無料化に関して言えば、「タダにする」といって50年間だまされてきた、あるいはムダ遣いされてきたことへの「怒り」と、これをやることで自分が人生を変えられる、もっといい生活ができると普通の人が思えるような「希望」が並存します。この二つがないと、経済政策は動かない。ちょうど20年前に鄧小平が深センに経済特区をつくりました。彼は共産主義を否定し、資本主義を導入することを大上段に振りかざすようなことはしなかった。しかし、深センにぽっと、置石を置いたら、いつの間にか上海も北京も、こぞって資本主義をやっている。これと似たような置石が高速無料化の提案とも言えます。
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