山﨑 養世の世界と日本
発表論文

Japam Business Press 『東奔西走』

米国の本音は、人民元は安い方がいい
為替問題から透けて見える米中経済同盟
(2010年5月12日)



切り上げどころか大幅に安くなった人民元

ところが中国の人民元は、過去30年間で、切り上げどころか大幅に安くなってきた。1980年は1ドルは1.7人民元だったが、今は6.8人民元だ。4分の1になったことになる。

今年は人民元のレベルを巡り、米国から中国への攻撃が続いている。特に選挙の年を迎えた米国の議会は、「米国の雇用を守れ」「中国の不当な為替操作を許すな」という合唱を繰り返している。

まるで80年代の日米関係の再来のようだ。当時は、世界一の貿易黒字を稼ぎ、世界一の外貨準備のほとんどをドルで持つのは日本だった。日米の貿易摩擦は激化し、米国は円が安過ぎると批判した。

そして、1985年9月のプラザ合意からわずか1年半で、円は1ドル260円のレベルから120円台にまで2倍以上円高になった。

果たして、人民元も25年前の日本円のように急上昇するのだろうか。私は、それはありえない、と思う。

安い人民元は米国経済を実は潤している

なぜなら、安いレベルにある中国の人民元こそ、米国と中国の経済成長の源泉であり、私が3年前に名づけた「米中経済同盟」の根幹をなすからだ。

さらに言えば、安い人民元は米中両国の共同の利益であるだけでなく、今や世界経済の成長の中核システムであり、グローバリゼーションを基底で支える仕組みとなったからだ。

だから、過度な(と言っても30%といったレベルであり、日本円のような200%以上でなくても)人民元の急激な上昇は、世界経済をリーマン・ショック以降の二番底に落とし込む危険性を持っている。

なぜ、そう言い切れるのだろうか? それは、中国が「世界の工場」になったからだ。と言うと、日本も80年代に「世界の工場」になったではないか、と思われるだろう。もう少し正確に言う必要がある。

中国が、まず「米国企業の工場」となり、さらには「世界の企業の工場」となったからだ。だから、中国からの対米輸出の上位は米国企業が占める。そして、日本やヨーロッパ、さらに韓国や台湾の企業も、中国で生産して世界に輸出している。

人民元上昇で世界中の金利が上がり、企業は打撃を受ける
もし人民元が大幅に上昇したら、何が起きるだろうか?

中国で生産された製品の、ドルや円やユーロで換算した生産者物価が大幅に上昇するということだ。

生産者物価の上昇は、売り値である消費者物価に転嫁される。つまり世界的に物価上昇を呼ぶ。そうすると上げざるを得ないのが、金利である。主要国の中央銀行は物価抑制のために、短期金利を引き上げざるを得なくなる。すると金利水準全体が上がることになる。

一方、人民元の上昇によって生産コストが上がっても売り値に転嫁できなかった部分だけ、企業の儲けは減る。世界の企業の収益は打撃を受ける。

つまり世界的に、企業の収益が減る一方で金利が上昇するのだ。世界の株式市場にとっては悪い材料である。人民元の上昇が大幅であれば、世界の株式市場が暴落しても不思議ではない。

人民元の切り上げは世界経済の自殺行為

株式市場の暴落は、不動産市場の下落を誘発するかもしれない。ただでさえ整理が終わっていない欧米の不動産市場は、金利上昇と株式市場の下落のダブルパンチによって、再び下落の道をたどり得る。

そうなれば、ようやくリーマン・ショックの後遺症から立ち直りかけた世界経済にとっては危機の再来である。消費の減退が企業の人員削減を呼び、それがまた景気を落ち込ませる、という悪循環が再起動されるかもしれない。

人民元と世界経済は強い連動関係にあるから、急激で大幅な人民元の切り上げは世界経済の自殺行為になってしまうのだ。

こうした構図は今に始まったことではない。1992年に鄧小平が南巡講話を行った時に始まり、2000年以降の改革開放政策で一層強化された。

まず、米国企業が、中国で生産し米国や世界で売る、という水平分業を確立した。同時に、中国は米国国債の最大の買い手になり、金融危機では米国金融機関の救済でも協力した。実物経済と金融両面での「米中経済同盟」が成立したのだ。

米国の工場にならなかった日本との違い

人民元と比較すれば、なぜ過去に米国は急激な円高を日本に押し付けたのかが見えてくる。

1980年代に、日本は「世界の工場」となった。しかし日本は、「米国企業の工場」になったことはなかった。日本企業と米国企業は、米国の消費者を奪い合うライバルであった。

だから、ライバルである日本企業を叩くために、米国企業は政府に圧力をかけて、大幅で急激な円高を求めたのだった。

強い円を利用して、日本は一気に生活大国と金融大国の道を歩むはずであった。ところが、日本はそれに失敗した。対外資産のほとんどを米国国債で持ち、1990年代以降に10倍にもなる米国株や資源などには投資しなかった。海外の不動産投資は高値でつかんで後で手放した。

円高を利用して日本の内需を拡大し、工業化社会から高度なサービス産業や知識産業を伸ばすことにも失敗した。農林水産業や観光などの田園の産業、新エネルギーの導入も遅れている。

円高が促すはずだった構造変化はどこへ行ってしまった

国土は相も変わらず、極端に過密の大都会と不便で過疎の地方に二分される。50年前と変わらない満員電車の通勤、高い住宅コストとローンの重圧の大都会のすぐそばでも、交通が不便な土地は使われずに放置される。

国土の利用は、工業化社会の産物である大都市集中のままだ。ところが大きな製造業企業のほとんどが生産を海外に移し、国内は空洞化が続く。

円高が強制したはずの構造変化は、日本ではまだ起きていないのである。


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